2017/03/17 18:04
92年の発売から、いよいよ初の再発へと辿り着いた“illegal soul”。リマスタリングを施し、当時の7インチ 3作品から初CD化となる4曲を追加しての濃密リイシュー。あまり語られていない当時のDOOMを取り巻く状況をも踏まえ、更に深く“illegal soul”を紐解くロング・インタビュー前編!!
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■インディーズのアルツハイマー レコード第2弾(第1弾はDOOM+ガスタンク BAKIのquartergate)としてリリースされましたが、メジャーからインディーズへ戻った経緯は、当時どのようなものだったのでしょう。
藤田:ビクター インビテーションレーベルで4枚目のフル・アルバム“Human Noise”を制作して約1年半後、、、時代も第1期バンドバブルみたいなものも終息を向かえ、CD等の売り上げも80年代と比べ徐々に業界全体が落ち込んだ時期だったんだよね。となるとバンドも会社の一部、一社員なので、財政的に厳しくなった会社と関係が続けられなくなったのが理由だね。当然、レコード会社からカットされるということは、所属事務所的にもお荷物になるわけで、、、なら活動を止めないためにも、潔くインディーズで活動を続けることを選んだだけで、大した意味は無いよ。
■自然な流れでもあったのですね。中古市場でも長くプレミアが付いていますが、当時の“illegal soul”の流通枚数は少なかったですよね!?
藤田:本来、自分らのことは自分らでと思っていたけど、自分たちで流通や小売店に直接セールスしていた結成当初の頃とは状況もかなり変化していたのもあって、人任せにしてしまったのがうまくいかなかった原因だったかなと、今思うとあるね。関わってくれるスタッフも頑張ってくれてはいたので、自分たちが反省しなきゃいけないことだけど。せっかく作ったものが多くの人に届いていないのは残念だったし、その後も高値で取引されているのは噂には聞いていたから、時間は掛かったけど今回の再発で多くの人に触れて欲しいな。
■“illegal soul”制作時のレコーディングなど、どのような環境でしたか?
藤田:この頃はレーベル&事務所を音楽学校内に籍を置いていて、音楽学校なのでレコーディング環境があったんだよね。ただ今までと大きく違うのがスタジオの構造で、これには苦労したな。4階建てのビルの中で、ドラムは地下1階、ベースは1階だったかな、、、ギターは2階、そしてエンジニアルームは3階とバラバラな状況で。“せーの”で演奏するも、ブース内のモニターを見ながらだからしんどかったのは、今でもよく覚えているね。さらに学校なので、気がつくと生徒がドアの小窓から見学していたりと、落ち着いてプレイできなかったのも、今となっては良い思い出だね(笑)
PAZZ: モニター見ながらやったね。クリックも嫌いだったな~。
■特にDOOMの場合は、メンバー間でのアイコンタクトや空気感が大事かと思うので苦労したんですね。個人的に“Human Noise”よりもバンド・アンサンブルがより際立つ仕上がりに感じるのですが、制作プロセスにおいて何か変化はありましたか?
藤田:どのアルバムにおいてもだけど、その時々、タイミングや感性や想い、気分、、、などなど、プロとして良くないのかもしれないけど、感触が変わって聴こえるのはあるかも。今作に限ったことではないので、あまりその辺は自覚していないかな。3人の人間が作り出すものなので、それが当たり前だと思って、今もやっている。なので意図的に制作プロセスを変えた部分はなかったはず。
■ということは、、、よりアヴァンギャルドなサウンドへ進化したように感じますが、特に意識したわけではないと。
藤田:今 言ったように意識的な部分は少ないけど、今 振り返ると、90年代になって自分ら周りのバンドも混沌としていたんだよね。何をやっていいか分からないくらいの気持ちもあったかもしれない、、、日本だけではなく世界のシーンがそうだったと思う。っで、自分らはどうするか!?って考えたときに、ただひとつ“ベーシックに戻ってみよう”と決めたね。なので、アヴァンギャルドなものを目指したわけではなく、やりたいことを見つめ直して、自然とそうなったというのが正しいかな。
PAZZ:今聴くと、ドラムのフレーズ的にはシャッフルビートとかボサノバっぽかったりと、それまでやっていなかったことはやってたりするね。気持ち的にそんな時期だったんだろうね。
■90年代の混沌とありましたが、90年代 政治では自民党の混乱期を迎え、社会ではバブルからの崩壊と、生活における大きな動きがあった時だと思います。音楽の世界でも、ポップスの世界ではミリオンが連発したり、海外ではグランジの大躍進など、80年代とは違う世界が始まりました。このような情勢を受けて、当時はどんなことを感じていましたか?
藤田:90年代ね〜、、、この時代だけではないけど、音楽とカルチャーは切っても切り離せないものだと思うから、いろいろなことを気にはしていたよ。そこにはファッションや芸能、政治やら、宗教的な事まで、常にアンテナは張っていたね。“illegal soul”を作るにあたって、そういう何かに影響を受けるということまでは無かったかな。
■歌詞においてはいかがですか?
藤田:詞においては、当時の混沌とした時代背景的なものを何かしら取り込んでいると思うよ。未来を占うなんて事はできないけど、なぜかこの2000年を不安に感じるもの、世の中の不協和音的な事を、すでに1990年代に感じていたようにも思えるしね。
■話は変わりまして、“illegal soul”のギターリフ/サウンドは、今までのDOOMと違うようにも少し感じるのですが、今までに比べて何か意識や影響した部分はあるのでしょうか?
藤田:あくまでも個人的なことだけど、自分のルーツとも言える、若い頃に観ていた“東京ロッカーズ”、そのシーンを盛り上げていた“8 1/2”、“フールズ”、“リザード”、“フリクション”、あとは“NO NEW YORK”というニューヨークの前衛アーティストを集めたシーン・アルバムなどを“イシキ”した部分はあったかも。さっきの“ベーシックに戻ってみよう”という部分を自分のギターで考えると、そういう自身のルーツ的な一面を出していたのかもね。
■皆が期待するDOOMらしい曲を作るというよりも、自分のルーツ+それまでの経験を踏まえて滲み出たリフ、サウンドなんですね。古平さんに質問です。諸田さんの演奏を当時見られていたと思うのですが、作品はもちろん、ライブでの印象深かった点など教えてください。
古平:ライブではやはり、諸田さんサイドでガン見してましたね(笑)諸田さんのプレイは一音一音が綺麗に出てて、指弾きがほんとに上手い! ビブラートのかけ方、指先のタッチが凄く繊細でしたね。左手のフォームも、自分のようなガチャガチャ感がなくスマートでした。当時はもちろんネットで映像など見られない時代でしたから、ライブを観に行って、どういう風に弾いてるんだろうってプレイを盗んでいました(笑)
■“illegal soul”以前とサウンドや奏法の違いなど、技術的な面で気がつくことはありますか?
古平:最初のEPや“NO MORE PAIN”ではバッキングが速く、タッピングも派手で、十分難しいですが、難しいというよりあの速さで弾き続けるのが大変ですね。それ以降は速さ/派手さより、フレーズの凄さが更に出てきます。細かいことを言うと、人差し指から弾くか中指から弾くかで上手く弾けなかったりとか。
■なるほど。“NO MORE PAIN”以降に転換期があり、数作を経てのベース・フレーズの凄み/深みの一つの到達点が“illegal soul”かもしれないですね。再始動後のDOOMでこの頃の曲も演奏されていますが、実際に演奏してみてどうですか?
古平:先ずは自分が弾けそうかどうかで選曲してるところもあったので、比較的憶えやすい曲“BLOOD ON THE RiSE”、“水葬”、“THE NiGHTMARE RUNS”はやっています。やはり“水葬”には特別な思いを込めて弾いています。
■その“水葬”における独特のベースサウンドは、古平さんはどのように作っていますか?
古平:諸田さんはレコーディングでは、ダブリングしてるので、コーラス等のエフェクターでは得られない微妙なピッチのズレがいい感じですよね。自分は、この曲に関してはミッドレンジが強調されるようにピックアップをミドルとリアのミックスにし、ハイを落とし、少しリバーブをかけてます。弾くポジションもネック側に寄せてます。中盤のルートを弾きながらのハーモニクスとか、弾いてみるとなかなか綺麗に出ないんですよ。
■確かに他では聴かない独特なトーンなので、いろいろ考えられた音作りなんですね。PAZZさんは再始動後、演奏してみていかがでしょう。
PAZZ:俺の場合は、この頃に限らず全ての曲において、未だに新たなアプローチを試していたりするからね、、、なんとも言えないね〜。常に新しい曲にトライするような感じだね。御二方(藤田/古平)には御迷惑お掛けしていますが、、、この場をお借りして“かたじけないっす”。
■PAZZさんの“かたじけない”は、連発し過ぎて本当は謝っていないとの噂ですよね(笑)話を戻しまして、曲名は「i」のみが小文字で表記されていますが、どのような意味がこめられていますか?
藤田:言葉で説明するのはナンセンス。それが“illegal”なんです(笑)っでそんな風にワケの解らない我々の魂が“illegal soul”!!
■あまり触れないほうが良さそうですね(笑)ずっと気になっていたのですが、“WE SHALL MiSS NOTHiNG (KiLLiNG FiELD Ⅱ)”のイントロ部分が、KILLING FIELDに似ているのは偶然なのか意図的なのか、長年の謎なので教えてください。
藤田:当初は“KILLING FIELD”のような、諸田のタッピングのメロディを活かしたイントロを作れないかと試行錯誤してたんだけど、何をやっても“KILLING FIELD”の印象が強すぎて超えられなくて、、、なので、もう潔くKILLING FIELD 2として曲を作ってしまおうと。だから偶然でも意図的でもなく、正直に言うとネタ切れの産物だね。
古平:この頃のベース・マガジン誌のインタビューで、諸田さんが最初作ったイントロがあまりにも“KILLING FIELD”に似ていたのでダメ出しされて、結局そのままパートⅡとして完成させたというのは読んだことあったのですが、やっぱりそういうことなんですね(笑)
■なるほど〜。長年の謎が解けました(笑)
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-後編に続く-